ハガキ:漢の道

お前ら!漢の道歩んでいるか?

僕は毎日筋トレしてます!?甘い甘い。

漢の道とはメシから作るものだ!


男の昼飯、オープンカフェなど見向きもしない!

生パスタなど笑止千万!

ココイチでカツカレー100辛喰らえ!

真っ赤に唸るカレーは己の赤フンと同じ色!

トッピング込み込み5000円取られても気にするな!


漢のおやつ、浮かれた店など見向きもしない

タピオカミルクティなど笑止千万!!

芋焼酎正露丸浮かべて飲み干せ!

そしたらカレーの痛みも楽になる!


男の夕食、小洒落た店など見向きもしない!

チーズフォンデュなど笑止千万!

鉄工所に向かえ!ドロドロに溶けた鉄にタイヤをディップして喰らうのだ!


これで貴様も鉄の男になれる!

漢の道の先で待っているぞ!



コラム: ドライブデート

 最近若者のクルマ離れが叫ばれています。女の子を乗せてデートなんてこと減っているのではないでしょうか。では、今の若者がドライブデートへ行ったら、いったいどうなるでしょうか。


 気になる大学の女の子、勇気を振り絞りドライブデートを取り付けました。車で海を見に行こうと。当日2人レンタカーに乗り込み、下調べをしつくした海へとカーナビをセットします。隣にはあの恋い焦がれた彼女が…、夢のような時間が今始まろうとしております。

 

 「ねぇ、君は休日何をしているの?」

 「私は普段…『この先300mを左折です』

 「お昼はどこで食べようか。君はどんな料理が好き?」

「イタリ…『このまま5km道なりに進みます』

最近のカーナビはよく喋ります。相席屋の女よりも喋ります。男も思わず「はい、わかりました」なんてカーナビに返事をしてしまいます。


 カーナビが多弁になったのも現代人が孤独になったからでしょうか。

『そろそろ運転時間が2時間を超えます。休憩してはいかがでしょうか』

『本日はあなたが車を買って1年記念になります』

生身の人間よりもよっぽど気が遣えます。

さらに進化したカーナビですと、『500m先に逆走の老人がいます。気をつけてください』なんて教えてくれます。


 若者が車を買う理由に恋人と2人きりになれるからといった理由があったのではないでしょうか。 昔、車メーカーは広めの軽自動車を恋人仕様と謳って販売しました。2人乗りなら2シーターでいいものを、後部座席でいったい何をしているのでしょうか。是非ドライブレコーダーで事故を記録して欲しいものであります。


 今の軽自動車はさらに進化し、広くゆったりとしています。昔の軽で恋人仕様なら、今の軽は家族仕様、いや三世代仕様でしょうか。家を買わずに車を住処とし、古くなったら新しい車へと住処を移し替える、まるでヤドカリのような生活へと変わっていくと思われます。まさにカーシェアリングではなくカーシェリング(貝)。


お後がよろしいようで。




 



コラム:温泉旅

 日本人の大好きな温泉旅行。日頃の喧騒を忘れ、遠く奥地の温泉でゆったり羽を休めるといった目的でしょう。しかし、遠く奥地に行くものですから、その移動が大変であります。狭い車やバスで揺られての長時間の移動、肩は凝り、腰は痛みます。この疲労を取りに行くために、日本人は温泉に行くと言われております。


 さっそく温泉宿に着きますと、浴衣に着替えます。最近の若者は和服を着ないものですから、この着替えだけでまた疲労がたまります。帯は結べず、中には左前で着る者もいます。若者ですとまだ可愛げがありますが、年寄りだと大変です。ボケているのか、化けて出ているのか見分けがつきません。特に夜中に廊下ですれ違ったときは足下を確認しましょう。


 さぁひとっ風呂浴びに行こう。最近の温泉は外国人観光客も増えたせいか、マナーについてしっかりと書いてあります。湯に浸かる前に掛け湯をする、タオルは湯船に浸けない、泡を落としてから湯船に浸かるなどなど。また、湯に浸かったら、極楽極楽と漏らすのもマナーであります。ここでも年寄りには注意をしましょう。極楽極楽と言いながら、本当に三途の川に浸かっていることがあります。特に電気風呂の年寄りには注意をしましょう。


こうして温泉で疲労を取ったあと、また長時間の移動で帰ります。

いったい帰りの疲労はどこで取るのでしょうか。




ボヘミアン・ラプソディ

 公開日の翌日にこの映画を観に行ってきた。映画館に入ると案の定、年配の方が多い。一緒に観に行った友人の母もQueenの大阪公演に行ったことがあるそうで、きっと一緒にQueenと生きたファンであろうか。そして二十代の方もちらほらと。若い世代のQueenの入りはどこだろうか。カップヌードルのCMか、ジョジョの奇妙な冒険のスタンドか、はたまた次長課長のコントであろうか。

 「We will rock you」を聴くと中学二年生のある事件を思い出す。休み時間に友人が教壇に立つと、手足でリズムを作り「We will rock you」を歌い出した。そして「singin'」とマイクを向けられたなら、我々クラスメイトも「We will we will rock you」と叫ばざるをえなくなる。災難にも私達の教室が職員室の真上にあったため、この異常な地響きと熱狂にすぐ気づかれ、体育教師から大目玉を食らった。Queenは危険だ。楽器も持たないのに我々をこんなにも熱狂させてしまう。そう中学生の私は思った。

 私がQueenを真剣に聴くようになったのは高校生になってからであった。当時はRadioheadに夢中で、音楽の地平を切り拓く姿勢が好きだった。そしてクイーンとRadioheadはこの姿勢において似ている。

 映画の中でも出てくるBohemian Rhapsodyとレコード会社との対立。そのポピュラー音楽には無い構成と実験的手法を盛り込んだ音、意味の通らない歌詞、こんなものが売れるはずかないと突っ返されていた。しかし、レコード会社の思惑とは反対に、世界中で大ヒット。今では英国史上最高のシングル曲に選ばれている。Radioheadの「OK computer」も同様のことがあった。この実験的で暗いアルバムはレコード会社から商業的自殺とまで言われたほどであった。しかし、これも世界的に大ヒットし、90年代の金字塔とまで言われている。そしてBohemian Rhapsodyと「OK computer」のParanoid androidが同じ4部構成であることからQueenの中でもこの曲をよく聴いていた。

 普段、私は滅多に歌詞に目を通さない。しかし、Bohemian Rhapsodyを聴いていると、TOEICが500点取れなかった私のリスニング力でも耳に入ってくる歌詞がある。「Mama,just killed a man」えらく物騒なことを言っているなと思い歌詞を調べてみる。しかし、歌詞の内容は分からない。 実際、映画の中でも本人がこの歌詞に意味なんてないと言っている。本人が言うのならばそうだろうと飲み込むしかないのだが、この映画を観た後、そうではないような気がした。

 映画の中ではQueenの活躍とフレディの苦悩が描かれている。フレディは婚約者がいながらも、自身が同性愛者である葛藤から離婚を選択し、最後は男性と結ばれている。「Mama,just killed a man」のa manとは女性を愛す存在である男という意味ではなかろうか。

 ライブエイドのシーンでBohemian Rhapdodyが演奏される。いっそのこと生まれてこなければよかったと歌うフレディを観て、歌詞がこれまでの映画で描かれた苦悩と重ね合わされ、私はそう思ってしまった。フレディの中の男は銃で撃ち抜かれた。ナイフでもロープでもなく、銃によって殺されてしまったのだ。

 この映画のタイトルが「Queen」でも「We will rock you」でも「We are the champion」なく「Bohemian Rhapsody」であることはきっとこんな意図があったのではなかろうか。

 

 

 

 

 

 

 

夏の帰省

 この夏実家に帰省した。大学二回生になった弟とも初めて帰省の時期が重なり、親父と3人で飲みに行くこととなった。

 親父はドライブがてらに飲みに行こうと、春に免許をとったばかりの弟に運転を任せ、車は県境を越えて行った。どこか見覚えのある道から、ふと昔の記憶が蘇った。

 私が小学校4年生のとき、学校から帰ってすぐ疲れて寝てしまった。起きると家には祖父母も兄も弟もいなかった。後から聞いたところ、寝ている私を起こすのはかわいそうだからと、私を置いて親戚の家に行っていたようだ。そのうちに両親が帰ってきた。私が家で一人でいてかわいそうだからと、外食に連れて行ってもらった。遠く県境を越えて。

 私はそこで初めて居酒屋のカウンターというものに座った。両親に挟まれ、なんでも好きなものを食べて良いと言われた。少し読みづらい居酒屋のメニューを眺め、ネギトロ丼やカキフライやとたくさん食べた。しかし、何よりも嬉しかったのは両親を独り占めしていることだ。三兄弟の真ん中である私は誕生日でさえ、こんなに両親を独り占めできる機会がなかった。そしてその一年後、私の母は亡くなった。

 そんなことを思い出しているうちに、親父がここだという居酒屋に着いた。確信は出来なかったが、おそらく昔に連れて行ってもらった居酒屋だろうと。偶然にもカウンターに案内された。そして席に着くと、親父は「ここはあんたらが生まれる前に、お母さんとよく来ていた。」と言った。ああ、やっぱりあの居酒屋だ。

 あの頃と変わらない、少し読みづらいメニューを眺め、注文する。お酒も食事も楽しみ、そろそろ出ようかと親父は言う。トイレに立ち、戻ってくると親父はお会計をしながら、店主にこう言った。「やっと12年ぶりに来れました。子供達も大きくなって。」

 帰り道、弟がこう言った。「また来年も来よう。今度はお兄ちゃんのボーナスで。」

呪いの絵

 私の小学校には呪いの絵があった。

 

 私が小学校三年生のとき、初めて呪いの絵を見た。その絵は鍵のかかった資料室にあった。ある日先生の手伝いで資料室に入ると、おそらくその絵であろうものを見つけた。恐る恐るキャンバスの側面から絵を覗くと、何か赤い絵が描いてあった。私は恐ろしくなり、それ以上その絵を見ないように作業をした。

 小学校六年生のとき、再び資料室に入る機会があった。もう呪いの絵のことも忘れていたし、呪いも信じていなかった。しかし、資料室に入るとすぐにその絵のことを思い出した。昔見たあの絵はなんだったのだろう。私は今度はその絵を正面から見てみた。

 それは赤い絵であった。背景は真っ赤な嵐にすすきが揺れている。そして赤い着物を着た少女が振り返っていた。だがそれは普通の少女ではなかった。顔がすべて目玉なのだ。顔の代わりに大きな目玉が描かれていた。

 この異様な絵が一体なぜこの学校に置かれているのだろうか。先生に尋ねると、「昔、この学校に通っていた児童が交通事故で亡くなった。その親御さんがこの絵を描き寄贈したのだ。」と。

 私は何かやるせない気持ちになった。親御さんはどのような心境でこの絵を描いたのだろうか。この絵を表立って飾ることも、ましてや捨てることも出来ない学校も、呪いの絵と噂されるこの絵自身も。

 

 

ホルモンの焼き方

 私は餅が大好きだ。特に焼いた餅が好きだ。じっくり育て焼き目がしっかりついた餅を一度醤油に浸してさらに焼く。さながら刀匠のようだ。そして醤油が乾いたころに海苔で巻いて食べる。この食べ方なら餅がいくらあっても食べられる。

 しかしこのじっくり育てて焼くことが案外難しい。焦がさないように常に面倒を見なければならない。今か今かと焼ける様を見る私によく祖父母は言った。「魚は殿様の子に焼かせよ、餅は乞食の子に焼かせよ。」

 魚は焦がさないように何回もひっくり返しては身がぼろぼろになり駄目なのだ。だから余裕のある殿様の子に焼かせるのが良い。反対に餅のように焦げやすいものは何回もひっくり返し今か今かと焼けるのを待つ乞食の子が面倒を見たほうが良いと。

 最近焼肉に行く機会があった。お金のない私は一枚一枚ていねいに焼く。いわゆる育てるというやつだ。 この育てた肉一枚でハイボールをジョッキ半杯分は飲めてしまう。肉が焼かれる様をつまみに飲み、焼かれた肉をハイボールで流し込むのだ。

 肉によって焼き方も違ってくる。焼肉で一番人気のタンはサッと焼くのが良い。焼きすぎてしまうと硬くなって美味しくない。反対にマルチョウは時間をかけて焼くのが良い。初めは七輪の端でじっくりと焦げ目がつくまで待つ。さらにひっくり返してもう一度待つ。両面に焦げ目がついたら、最後に七輪の中央でサッと炙り食べる。

 気分良く酔っ払ったところでふと祖父母に言われたことをなぞり思った。「マルチョウは殿様の子に焼かせよ、タンは乞食の子に焼かせよ。」

 マルチョウの焼き方が上手な私は乞食の子から殿様の子に生まれ変わったのかもしれない。